いよいよ7月22日の皆既日食まであとわずかになりました。前回わが国で見えた皆既日食は46年前,しかも早朝の知床半島でしたから,ほとんどの人は見ていません。次の皆既日食は26年後で,今年は千載一遇のチャンスだと多数の天文研究者,天文愛好家が上海へトカラ列島へ奄美大島へと向かっています。近畿で80%も欠けるのは1958年の金環食以来のことです。
母なる恵みの太陽が白昼消えてしまう皆既日食は,古代の人々にとって驚異であり脅威でした。古代オリエントにあったメディアとリディアは,交戦中に不意に起こった日食を天の怒りと思い戦いをやめたそうです。これはまあいいとして,古代中国の夏(この王朝の実在は未確認だが紀元前20~19世紀ころか?)では日食予報をサボッた義氏と和氏という天文官がクビ(罷免ではなく死刑)になったとか。天文官たるもの,命がけで計算して予報を出さねばならず,星空を楽しむ余裕はなかったようですね。
日食の周期を発見したのは紀元前7~6世紀ころのバビロニア(別名カルディア)の占星術師でした。その周期は6585と約1/3日(約18年10日8時間)で,今日ではサロスの周期と呼ばれています。サロスの周期ごとに太陽と地球と月が相対的にほぼ同じ位置に来るため,日食または月食は1サロス後にはほぼ同じ条件で起こります。ただし1/3日という端数のため,地球上で1/3日の時差(経度にして120度)の地点に移ります。そして3サロス(54年1カ月)後にはまたほぼ同じ地点で見られます。こんなことをバビロニアの占星術師はどうして知ったのでしょうか?星座の起こりもバビロニア,彼らの天文学はギリシア,インドそして全世界へ伝わっていきました。
もし今年の7月22日に雨が降って日食が見えなかったら次のチャンスは?・・・2012年5月21日の金環食が西日本各地で(京都でも7時30分ころ)わずか2分足らず眺められます。わが国で見られる次の皆既日食は2035年9月2日に能登半島から北関東を横切る地帯で起こり,午前10時ころですから近畿から日帰りで見に行けます。また全国ほとんどの地域で9割も欠けます。その次の皆既食は2063年8月24日に起こり,皆既ゾーンは津軽海峡を挟んで青森北部,北海道南部で,近畿でも8割くらい欠けます。今世紀,京都では皆既日食は見られません。
過去2000年間の日食のうち,京都で90%以上欠けたものは多数ありますが,皆既日食は5回しかありません。そのうち最初の2回(158年と522年)は記録がなく,4回目(1742年)と5回目(1852年)は江戸時代でした。3回目は平安時代で,歴史書『日本紀略』には,天延三年七月一日(=975年8月10日)のことで「群鳥飛亂,衆星盡見」と書かれています。鳥が群がって飛び乱れ,たくさんの星が見えたとは,当時の都人はびっくりしたことでしょう。当時は安倍晴明が天文博士の任にあって活躍していたころですから,この文章はきっと彼の部署で書かれたものでしょう。陰陽師とは妖しげな占師や超能力者ではなく,きちんと天文現象を観測記録していた専門技術者なのです。わが国で最初の日食記録は『日本書紀』に載っている推古三六年三月二日(=628年4月10日)のものですが,これが皆既だったかどうかは議論が分かれているそうです。
南の島へ行かなくても近畿で80%も欠けるのですから,木漏れ日観察,インターネットによる日食ライブも含め,それぞれの方法で一人でも多くの人に見てほしいものです。ただし肉眼で直接見ることは絶対に避けて,日食メガネを使いましょう。京都では9時47分に欠け始め,11時5分に食が最大になり,12時25分まで続きます。ともあれ当日の晴天を期待しましょう。
各地の開始終了時刻
(国立天文台 日食情報センターより)
作花 一志